名古屋無限景。

名古屋から始まる気まま歴史探訪。

《揚輝荘》セミナー参加第2弾、行って参りました♪

揚輝荘100周年記念イベントのセミナーへ、またまた参加してまいりました( ̄^ ̄)ゞ

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本日も緑に美しく映える聴松閣です( ´∀` )

 

さて今回のセミナー内容は。

 

「いとう呉服店 店舗拡張の歴史」

 

伊藤次郎左衛門2代から13代までの時代、お店がどんな風に成長していったのか。

 

成長→お商売のことではなく〝店舗拡張〟なのである。

 

ん?

 

そう、土地と建物、というジャンルのお話だ。

 

講師は、種田祐司さん(元名古屋市博物館学芸員)。「江戸時代の名古屋」の研究で著名な方とのこと。

 

この辺で私の好奇心がムクムクと。江戸時代の建築事情、これは面白そうだ。

その当時あった時代のルールってどんなかしら?江戸時代研究、しかも名古屋に詳しい方のお話が聞けるなんて楽しみだ〜!

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*頂いた資料群。

 

資料「いとう呉服店の屋敷地買収(茶屋町)」

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これは長屋の仕切りの絵図。最初ごく一箇所だったのが(「1万治2」の箇所)番号が振られてる順に購入、拡大が進んでいった様子が示されています。(名前は売主)

 

現在の地図ですと…

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もうちょい広域で、

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(※資料と現在地図がイマイチ一致しないのを現在確認中、スイマセン、、)

 

次に、元々誰が所有していて、いくら払って手に入れたか、などの詳細が分かる一覧。

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私が気になったお話をピックアップしてご紹介致します。聞き取りも書き出しも苦手な私なので、モヤっとレベルの説明になること、ご容赦下さい(><;)

 

1.本町通を狙え⁈

商売するならいい道沿いに門を構えたい。現代の名古屋で言えば、大津町通、広小路通、とかだろうか?

本町通とは、名古屋城に繋がる当時のメインストリート。今も残る有名デパートはこの通り沿いにしっかり構えていたそうだ。

伊藤家はどうかというと、拡張順は本町通沿いへは殆ど最後の方。しかも道沿いの家を獲得しても店として使わず借家に使っていただろうという話。どうも「本町通への野望」というのはそれほどなかったカナ、というお話でした。

がしかし面白いのは、逆に伊藤家の南側に接している道「京町筋」があることを重要視していたカモという話。

 

この道は何かといいますと、「美濃路」であった(かも)らしいのです。

み、みのじ??

 

◇美濃路(Wikiより)

美濃路(みのじ)は江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)である。

 

色んな理由で遠回りでもこの脇道を利用することが多かったらしい。そしてこの道には何が通っていたりしたかというと、

・朝鮮通信使

・琉球王使

・お茶壺道中

・像の通行

とある。大切な人や行事に関するものなどが通行する「日本東西を結ぶメインストリート」というわけだ。なるほど〜!

 

2.おもてなしや囲炉裏による課金

買収金の内訳が時代が下るにつれ段々複雑になっていた。純粋に持ち主に支払うお金以外に、町内会費やもてなし代、課税もがかかるようになってきたらしい。

 

もてなし代:

開店祝い?には町内〝全員〟を招き振る舞いをする名古屋の慣習があった、らしい。出た、名古屋(笑)。ご近所への丁寧な挨拶がやはり名古屋という土地で長く生きるための大切なオキテだったのだろうか…

 

課税:

家の税金の基準に囲炉裏の数があったそうだ。一つの家に複数の家族が住んでいたりするから、それを囲炉裏で捉えたらしい。なんかテレビのNHK受信料とか思い出しちゃいました。

 

3.トイレの道

屋敷と屋敷の間に細い道を作ることがあるそうだ。何かというと、裏手のトイレへ繋がる道。くみ取りに来る人が店の間口を通らないように。店を構えているならではの造りの特徴、になるわけですね。

 

4.火事はチャンスだった?

火事で店が全焼したことが契機になって買収が進んだ話があるそうだ。火事に何度も見舞われた伊藤家ですがこんなチャンスになったこともあったんですね。。

 

5.東照宮の山車

東照宮は伊藤家と隣り合ってたんですね。。

今ではすっかり大きくなったあの「名古屋まつり」は元々は東照宮が発祥。町ごとに「山車」を持っており、もれなく伊藤家も山車に資金投入していた。また東照宮の雅楽存続の危機に人力した歴史もある(14代祐昌)。ここのご祭神は徳川家康公。お祭りは家康公の命日に行われている。尾張藩御用達にとっては一大行事ですね。。

 

6.茶屋町の茶屋家とは

セミナーの質問タイムにざ・地元民から出た話が気になって調べてまた賢くなりました。

伊藤家が店を構えたこの「茶屋町」には元々「茶屋家」の店が大きく敷地を占めていた話が説明されていたのですが、

◇茶屋家とは=京都の豪商

子孫が尾張藩の元に来てここに店を構えていたみたいです。そして現在の港区に新田開発を手掛けた人だそうです。港区に茶屋と名のつく町が沢山あるのを確認しました…え〜これ全部⁈すんごい豪商だったんですね(*_*;

この歴史を知っていると京都に足を運んでもまた楽しめそうです。

 

てな訳で、セミナー第2弾報告終わりです(^.^ ;

ありがとうございました♪

 

🏯終。