名古屋無限景。

名古屋から始まる気まま歴史探訪。

名古屋城外堀のゴミ拾い

昨日はとってもとっても嬉しいことがありました。それは…

 

念願だった名古屋城外堀に侵入しました!!

じゃーん♫

f:id:sunlight333:20181216212537j:image

名古屋城外堀ヒメボタルを受け継ぐ者たち」の活動の一環、外堀のゴミ拾いのお手伝いをしたのですo(*゚▽゚*)o☆

 

会では年に2回清掃を行っているそうです。ヒメボタルを守るため沢山の行政の方にご協力を頂きながら、草刈りの調整や清掃活動を行っているのです。

かつて冷蔵庫や自転車が捨てられていたという伝説がありますが…さてさて今日はどんな大物が現れるやら…

結果は電子レンジとなりました。こんなところに捨てるな〜ですね(ーー;)私はヤカン、鍋、ポットがかたまって捨てられてるのを発見しました。浮浪者のかなぁ…。

 

1時間半程でしょうか、集まったゴミは全部で35袋ほど。あっという間に積み上がりました。でもこれは外堀のほんの一部。全体ではかなりのゴミがあります。悲しい…もっと綺麗にしたいなぁ(◞‸◟)

 

個人的に気になった物体をご紹介します。

f:id:sunlight333:20181216212600j:image
f:id:sunlight333:20181216212604j:image

これってお寺のものかしら??まだ正体突き止めておりません。重たい石ですので随分前から移動はしていないと思われる…妙な歴史を感じました。

 

あともう一つ、参加者の中にライオン(株)の方がいらしたのですが(←支援いただいているそうです)ふと、気になるコメントを拾った。「大津橋付近には昔植物園があった」のだそうだ。おっ、わたし、そんな感じの気になる夢を見たの!これだったのかな?と思い興味津々です。

 

当日は寒かったですが午前中には終わって程よい運動になりました。お堀の枯れた草木がパリパリ音を立てる…久しぶりに自然に触れた心地の良さがありました。また機会があったら参加したいな♪

《揚輝荘》セミナー参加第4段 ♪

こんにちは。今回もまた…揚輝荘セミナー(10/14)報告です。テーマは『米騒動』。

はて、伊藤家とどんな関係が?謎に思いながら向かったところ、やっぱりなんだかんだ面白かった揚輝荘セミナーです♪

 

『米騒動絵巻にみる名古屋の近代化』

講師:名古屋蓬左文庫 学芸員  木村慎平さん。

 

木村講師、とても丁寧で分かりやすく、米騒動絵巻を研究して本も出されたという、素晴らしい方でした。

 

蓬左文庫…気になりつつまだ行ったことがない。

 

◽️蓬左文庫とは(HPより抜粋)

尾張徳川家の旧蔵書を中心に和漢の優れた古典籍を所蔵する公開文庫。

蓬左文庫にとって、尾張藩の書物倉である「御文庫」の創設が、その歴史の始まりといえます。

 

そうだったのね。

名古屋好きの私ならばきっと楽しめる施設に違いない。いつか行ってみよう。

 

さて、今回のセミナーの特筆すべきポイントは(※注 私視点)

 

◾️米騒動について絵巻を見たことがあるならば(教科書とか)それは名古屋の米騒動の様子を描いたものである。

◾️米騒動は大正7年(1918)7月〜9月の間に、全国38市153町177村で発生した。

◾️今年(2018)は米騒動から100年目である。

 

ところで米騒動とは、

〜wikiより〜

1918年(大正7年)に日本で発生した、コメの価格急騰に伴う暴動事件、米騒動。

 

数ヶ月のうち同時に暴動がこれだけの規模で起きるって一体。今の時代のように情報のスピードがなかった時代に。暴動がそんなに盛んではない日本でこれだけ起きるというのも珍しい。

 

米の価格高騰の原因はシベリア出兵だそうだ。国内で米買い占め行動が起きて。なんか…結局人の不安感が次への問題につないでいっているのね。いつの時代も。

 

写真が普及していたこの時代に事件を絵で残した人物。

 

◽️桜井清香(さくらい きよか)※男性

     旧尾張藩士の家に生まれた日本画家。

 

描こうと思った動機が、

『毎日の新聞を見ている中に面白くなって、これを絵巻にしようと思い立ち、…』

 

世の中の騒動とは別次元に生きるのがやはり絵師ですかね(^ ^)好奇心から思わず月日を割いて楽しみながら描いてしまった作品のようです。

だから長い長い絵巻(約13m)の中身はその時代の背景と名古屋の面白い情報が沢山読み取れる。そしてその謎解きを研究者さんから直でお話を聞くとまたまた面白い。もちろん伊藤家の存在感もこのお話に登場する。

 

1910年開店 松坂屋デパートメントストアは当時の展望台だった

高さ、3階建て+塔。

塔からの眺めに展望台地図が作られ景色の写真はポストカードとなったそうな。その写真を見せていただけました。

 

平たさが…よりインパクトのある写真、だった。なにが平たいかというと、同じ高さの屋根がビッチリ敷き詰まった街並みが平たいです。何一つ突出した建物がない中に威厳高く名古屋城がポツーンとそびえ立ってました。

ということは、この写真を撮影している松坂屋デパートメントも名古屋城から眺めたら、ポツーンとそれはそれは厳かだったな違いない。今の松坂屋とはちょっと違うイメージがしてきますね。

 

騒動を描いている場所は当時出来立ての新しい大通りばかり

名古屋では有名な、広小路通や大津通、江川通りです。鶴舞公園で政治集会が行われ(鶴舞公園も出来立てホヤホヤ)大通りを使って移動(出来立ての路面電車に人が鈴生り)名古屋駅北東付近にある米屋町へ向かう暴動コース。

 

※ご参考までに wikiより………………………

米屋町とは:

愛知県名古屋市中村区の地名。現在の名駅三・四丁目の各一部に相当する。

名前の由来:

当地に名古屋米穀取引所が所在したことに由来する。同取引所は1898年(明治31年)に設置され、1927年(昭和2年)に中区米浜町へ移転した。

…………………………………………………

 

新道路は博覧会のためにドンドン開発が進んだからみたいです。古い絵巻ですが最新の近代化風景です。そこに松坂屋さんも描かれることに。

あれだけ密集した長屋の写真を見たあとだと、あんなに太い大通りを通すという一大事業のコトの大きさを感じました。まさに道路は都市の象徴なんですね。

 

若い街、名古屋

騒動があった頃の名古屋住人の年齢層を示す表を見せていただきました。今と真逆、20代前後が一番多い。絵巻からもそれが読み取れました。街に工場が沢山出来て農村からの貧しい労働者が沢山集まったからだそうだ。

全国でこれだけの規模の暴動があったのも、そんな若い新しい働き手が集まる都市が沢山生まれつつあったからなのかもしれないですね…。

 

ところでセミナーの中で木村講師が大正時代の説明としてお話しされた補足が私は印象に残りまして…

「貧富の差が激しくなりつつあったこの時代にまさにそこに伊藤家があったということでもある」

武士がエラかった時代から商人が偉くなった時代の先端を走っていた伊藤家。当時庶民の目からは一体どんな風に見えていただろうか。

 

今回の観覧者は前回より半分くらいの人数でした。揚輝荘鑑賞の人自体も少し少なかったよう。前回は連休だったからかなぁ。

 

お話しするのが楽しそうだった木村講師。質問タイムに質問できなかったのを時間外に思い切って尋ねてしまった。展望の写真で遠方に何かがそびえて見えたあれは何なのか。名古屋城と松坂屋くらいしか高層の建物がない中一体何があると?(山だと思ったけど山にしてもデカすぎる)

わざわざパワポを再立ち上げして映像を出してくれた、嬉し〜!

その間その場に居合わせた聴講者が「ノリタケチャイナじゃないか?」

おぉ〜ビンゴ⤴︎⤴︎✨

展望台地図のその辺りに「日本陶器合名会社(←創業当時の社名)」の記述があるのを皆で目撃。

えっ、あれ煙?!平たい屋根の大地、雲一つない空になんかグレーの影の塊があって…(一応その場では煙じゃないかという結論。鮮明な写真ではないのでシミかな?でスルーしそう)

そういえば今でも高いビルから遠くに煙が立ち上っているのを見ることがあるなぁ。それと一緒だ。なんとなく複雑な気分。

 

まだまだまだ興味深いお話が沢山あったけど、この辺で。詳しくは木村様のご本が蓬左文庫や徳川美術館でオールカラー500円で販売中。

えっ、オールカラーでそのお値段⁈

破格だと先生もおっしゃっていました(笑)

 

てなわけで、この度も楽しくワクワクで終わった揚輝荘セミナーでしたのでしたー\(^o^)/

 

写真がなくて寂しいのでこちらを。

f:id:sunlight333:20181020084009j:image

《米騒動絵巻(部分)桜井清香筆》

徳川美術館・名古屋市蓬左文庫/企画展「タイムスリップ1918 大正の名古屋―米騒動絵巻に見る100年前のモダン都市― 」

注)この企画展は終了しています。でも定期的に鑑賞できる機会があるみたいですよ^ ^

 

f:id:sunlight333:20181020173221j:image

こちらはセミナー資料からの写メ。上段の絵には松坂屋さんが描かれています。

 

とても柔らかい色、線、愛らしい人々の仕草が見てて癒されます♪

環境デーなごや2018に行って参りました。

「環境デーなごや2018」体験談です。結構もう日が経ってますが…先月9/15の出来事です。

f:id:sunlight333:20180917124619j:image

 

環境デーなごやとは。

(※HPより一部抜粋)

「環境デーなごや」は、市民・事業者・行政の協働のもと、よりよい環境づくりに向けて具体的な行動を実践する契機とする行事として2000年からはじまりました。

生き物との共生・低炭素社会の実現・循環型社会の構築などをテーマに、それぞれの地域で清掃活動や環境学習、講演会などを実施する「地域行事」。 成果を持ち寄り発表、交流、学びあう「中央行事」を開催。楽しみながら環境について考える場となっています。 

 

今年で開催19年目のようですが、私は全く存在を知りませんでした。友人の誘いで初めて行きました。

f:id:sunlight333:20180917150959j:image

当日はちょっぴり雨降りさん(> <)

 

楽しみにしていた「名古屋城外堀ヒメボタルを受け継ぐ者たち」のブースへ行きました(^o^)♪(宣伝(笑))

f:id:sunlight333:20180917132056j:image

 

とても素敵なこのポスター、なんとメンバーからの有志だそうだ(o_O)

f:id:sunlight333:20180917132534j:image

f:id:sunlight333:20180917152015j:image

 

ホタルの餌となるカタツムリの標本🐌

専門家さんが用意されたそうです。これはこれでまた面白そうな世界です…φ(.. )

f:id:sunlight333:20180917132605j:image

 

主役のヒメボタルちゃんです(*´꒳`*)

蛍は標本、幼虫は生きている姿を観察することができました。

f:id:sunlight333:20180917132744j:image
f:id:sunlight333:20180917132748j:image

 

幼虫は黒いゲジゲジ…ちょっとコワイかな〜でもとても小さいから本物は可愛らしいです。足はちゃんと6本です。

f:id:sunlight333:20181007145327j:image

 

ブース用意されているものが全部温かい有志ばかりで感動しました。みんながとても楽しそうに活動されているのが伝わって、私もとっても楽しくなりました。

受け継ぐ者たちさん、この度もまたまたお世話になりました💕

 

☆☆☆

さて、お昼は楽しみにしていた屋台へ。上海ロールなるものを食べました。炒めたピーナッツにそそられて…コリコリして美味しいかった(゚ー,゚*

f:id:sunlight333:20180917145227j:image

 

飲み物持参しそびれた私は到着した時から喉がカラカラ。食後もう限界!ということでエリアを巡るもペットボトルが売っておらず。たまらず立ってる名古屋市係員らしき人を捕まえて尋ねたところ…

あそこで無料で飲めるよと案内されたのは、名古屋市の水道水の良さをアピールするブース。程よく冷やした名古屋の水道水を配布していました。

お、中々ウマイぞ?日頃水道水避けてたけど…ちょっぴり見直しました( ̄〜 ̄ )

 


さて、今度は食後のゴミを捨てたくゴミ箱を探すも見当たらず。また係員にお尋ね。が、分からないとのことで仕方なくさらに探すと…あった。しかしそれはまたもや名古屋市のブース。

「ゴミ仕分けを伝えるために我々ブースとってゴミ箱設置してるんです…!」

という名古屋市に雇われてる?どこかの業者さん男子2人。(笑)。

捨てようとしたら、「あ、ストローは可燃です」早速指導。プラ資源と可燃の区別が難しい…プラマークが無いものは可燃だそうです。でもそれっておかしくない?と質問&お喋り。楽しかった、ありがとうございます(^p^)

 


ふと、横を見るとゴミ仕分けアンケートに答えるブースがあり賑わっていた。綺麗なお姉さんに手招きされ…なされるがまま簡単なアンケートシートに答えたら最後なんと名古屋市指定資源ゴミ袋をプレゼントされた‼︎(45ℓ10枚入り)えっこれおいしい!
友達に伝えたら早速行ってた…

 

☆☆☆

さてさてそんな体験話でした。思ったより回れなくて残念。色々体験できたり何かもらえたり…タダですごく楽しい。もう少し早く行けばよかった〜

 

そんな初めての「環境デーなごや」だったのでした。素敵な体験をありがとうございましたd(⌒o⌒)b♪

《揚輝荘》セミナー参加第3弾!

こんにちは。行って参りました、揚輝荘セミナー(9/23)。ちょっとお日にち経ってますが…

残念なことに一つ参加逃してます。ので正確には第4弾ですが…前回の竹中工務店の会、惜しすぎる、、

 

さて今回の内容はこちら。

「揚輝荘誕生100周年記念 ~明治維新150年~「伊藤次郎左衛門家 十三代祐良と十四代祐昌の時代」

 

伊藤次郎左衛門を調べ始めた頃、私は祐昌さまに興味を抱いた。どんな人物であっただろう、どんな活躍をされたんだろう…とても楽しみにしていました。しかし今回分かったことは、祐良、祐昌親子の共演が素晴らしかったこと。私が注目していた祐昌・祐民親子の共演と同じように、ここの代でもドラマがあったんだなぁ、と新たな視点を頂いたのでした。

 

講師は揚輝荘の会、会員の菊池光雄さん。

 

講演要旨は以下の通り。

1.名刀帯刀を許さる

2.安政大地震に被災

3.和歌の冷泉家に入門

4.写経三昧の生活

5.上野戦争での官軍の本営

6.藩債整理問題で苦悩

7.大阪へ進出

8.銀行を開業

9.名古屋法会議所を設立

10.九日会を結成

11.名古屋城の金鯱を復旧

12.謹直な人

13.芸事に親しむ

 

信じられないことに書き物を忘れた<(ToT)>細かいメモが取れませんでした⤵︎

覚えてる範囲で…好きなところをお話しします。(順不同)

 

11.名古屋城の金鯱を復旧

金鯱の運命について私は名古屋城検定の勉強をした時知りました。大政奉還後は博覧会に出、戦争では焼けてしまって茶釜に。

今回セミナーのお話は、この博覧会に出た頃の話だ。「シャチホコが博覧会などで見世物になっている悲しい運命」という風に記憶しているけどそれは本当だったようだ。成り行きを不遇に感じ助け出したのがなんと祐昌さまを中心とした運動によるものだったのだ。

そもそもは徳川慶勝さんの意向で金鯱は無くなる運命を辿りかけていたのだけど…そこはそうはならなかった。そういえば慶勝さんの件からいつシャチホコが返っていたのやら、そこは知らなかった。まさか伊藤家が関わっていたなんて。当時金鯱を管理していた宮内省に掛け合い無事生還したのだ。

 

本来在るべき場所へ戻してやろう。

 

う、何故かジンワリ…(TT)きてしまった私。。。。えっここで?と自分で自分に笑う…

 

今の名古屋の姿からはとにかく伊藤家の話がアチコチに出てくる。その多さに驚くばかりです。金鯱は結局戦争で茶釜になってしまったけど…こうして何度も復活して名古屋の象徴を誇り続けてくれていることが名古屋の力になっている気がいたします…(T人T) 

 

1.名刀帯刀を許さる

かっこいい響きですね^ ^ 以前自分で調べて知った三蘭丸の話が出ました。本能寺にいた森蘭丸は信長とともに亡くなりましたが、伊藤蘭丸は偶然違う場所にいたため生き残ったのだそうだ。信長サマと共にあれば当然そこでいなくなっていただろう。そう、だって彼には名古屋を守る使命があったからね!…なーんて( ̄▽ ̄)b

いや、ほんとにそのあとの伊藤家の活躍からするとこの流れは大きなことのように思えます。

 

セミナー資料の説明をご参考までに。

「文政10年(1827)、6歳で家督を継いだ13代祐良は、別家衆の補佐のもと店を更なる発展に導き、13歳の時尾張藩主から名字帯刀を許された」

ご両親を早くに亡くし家督と藩から役目まで頂いて、なんとも凄い13歳です…

 

12.謹直な人

祐昌さまのお話です。倹素そのもので家庭では座布団を用いず衣服は木綿を着用したとのこと。外出もよく徒歩をされたとか。なるほどそういうお人柄だったのですね!真面目一筋の人物が名古屋を支える銀行、商工会議所など様々設立しています。スタートの意思はやはり地盤の強さに関わるのではないでしょうか。祐昌さまは雅楽の保存(熱田神宮、東照宮)にも尽力されたと聞いています。名古屋を文化の面からも支えてくださった方ですね。

 

5.上野戦争での官軍の本営

「慶応2年(1866)、祐昌は19歳で家督を相続した。それから2年後、官軍と彰義隊が戦った上野戦争が勃発し、上野店は官軍の本営になった」

…のだそうです。

上野戦争なるものを初めて知りました。セミナー参加者からは「あぁあれね」みたいな雰囲気を感じた…さすが長く生きていらっしゃる方々…(これは毎度感じる)

徳川にお仕えしたんだけど官軍側にいる、という図式が名古屋の特徴だな〜と歴史の複雑さを感じます。名古屋発・伊藤家ですが関東でも様々と政治などにも関わっていたわけですね。(ちょうど西郷隆盛の番組がやっているし旬な話題かな?)

 

てな感じで報告会終了です。え、こんだけ?スイマセン、、

 

総括して感じた感想ですが…

信長様にお仕えしていた忠実なる蘭丸が仏の道を柱として商売を始めたのが伊藤家…ある意味信長さまが別の形で息づいているとも言えそうです。また尾張徳川の御用商人筆頭としての使命を果たす中、使命以上のことを残していかれたように思います。

揚輝荘の敷地にはマンションが建ってしまってロマン高まる地下洞窟は謎のままとなってしまいましたが…見学者はいつもここでため息をつきますが(笑)そのほかにもアレコレ手が入っちゃってますが、、しかしそんなことで伊藤家の息は壊れません‼︎o(`ω´ )o様々な形で世の中に根を張っている、知れば知るほど面白い伊藤家です♪

 

以上、報告&ミーハーのお喋りでした^ ^;

ども、ありがとうございました♪

f:id:sunlight333:20181007141535j:image

喫茶べんがらでまたも食す( ̄  ̄)✨

《揚輝荘》セミナー参加第2弾、行って参りました♪

揚輝荘100周年記念イベントのセミナーへ、またまた参加してまいりました( ̄^ ̄)ゞ

f:id:sunlight333:20180531122722j:image

本日も緑に美しく映える聴松閣です( ´∀` )

 

さて今回のセミナー内容は。

 

「いとう呉服店 店舗拡張の歴史」

 

伊藤次郎左衛門2代から13代までの時代、お店がどんな風に成長していったのか。

 

成長→お商売のことではなく〝店舗拡張〟なのである。

 

ん?

 

そう、土地と建物、というジャンルのお話だ。

 

講師は、種田祐司さん(元名古屋市博物館学芸員)。「江戸時代の名古屋」の研究で著名な方とのこと。

 

この辺で私の好奇心がムクムクと。江戸時代の建築事情、これは面白そうだ。

その当時あった時代のルールってどんなかしら?江戸時代研究、しかも名古屋に詳しい方のお話が聞けるなんて楽しみだ〜!

f:id:sunlight333:20180531204131j:image

*頂いた資料群。

 

資料「いとう呉服店の屋敷地買収(茶屋町)」

f:id:sunlight333:20180531205337j:image

これは長屋の仕切りの絵図。最初ごく一箇所だったのが(「1万治2」の箇所)番号が振られてる順に購入、拡大が進んでいった様子が示されています。(名前は売主)

 

現在の地図ですと…

f:id:sunlight333:20180602202520j:image

 

もうちょい広域で、

f:id:sunlight333:20180602202533j:image

(※資料と現在地図がイマイチ一致しないのを現在確認中、スイマセン、、)

 

次に、元々誰が所有していて、いくら払って手に入れたか、などの詳細が分かる一覧。

f:id:sunlight333:20180531205554j:image

 

私が気になったお話をピックアップしてご紹介致します。聞き取りも書き出しも苦手な私なので、モヤっとレベルの説明になること、ご容赦下さい(><;)

 

1.本町通を狙え⁈

商売するならいい道沿いに門を構えたい。現代の名古屋で言えば、大津町通、広小路通、とかだろうか?

本町通とは、名古屋城に繋がる当時のメインストリート。今も残る有名デパートはこの通り沿いにしっかり構えていたそうだ。

伊藤家はどうかというと、拡張順は本町通沿いへは殆ど最後の方。しかも道沿いの家を獲得しても店として使わず借家に使っていただろうという話。どうも「本町通への野望」というのはそれほどなかったカナ、というお話でした。

がしかし面白いのは、逆に伊藤家の南側に接している道「京町筋」があることを重要視していたカモという話。

 

この道は何かといいますと、「美濃路」であった(かも)らしいのです。

み、みのじ??

 

◇美濃路(Wikiより)

美濃路(みのじ)は江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還(脇街道)である。

 

色んな理由で遠回りでもこの脇道を利用することが多かったらしい。そしてこの道には何が通っていたりしたかというと、

・朝鮮通信使

・琉球王使

・お茶壺道中

・像の通行

とある。大切な人や行事に関するものなどが通行する「日本東西を結ぶメインストリート」というわけだ。なるほど〜!

 

2.おもてなしや囲炉裏による課金

買収金の内訳が時代が下るにつれ段々複雑になっていた。純粋に持ち主に支払うお金以外に、町内会費やもてなし代、課税もがかかるようになってきたらしい。

 

もてなし代:

開店祝い?には町内〝全員〟を招き振る舞いをする名古屋の慣習があった、らしい。出た、名古屋(笑)。ご近所への丁寧な挨拶がやはり名古屋という土地で長く生きるための大切なオキテだったのだろうか…

 

課税:

家の税金の基準に囲炉裏の数があったそうだ。一つの家に複数の家族が住んでいたりするから、それを囲炉裏で捉えたらしい。なんかテレビのNHK受信料とか思い出しちゃいました。

 

3.トイレの道

屋敷と屋敷の間に細い道を作ることがあるそうだ。何かというと、裏手のトイレへ繋がる道。くみ取りに来る人が店の間口を通らないように。店を構えているならではの造りの特徴、になるわけですね。

 

4.火事はチャンスだった?

火事で店が全焼したことが契機になって買収が進んだ話があるそうだ。火事に何度も見舞われた伊藤家ですがこんなチャンスになったこともあったんですね。。

 

5.東照宮の山車

東照宮は伊藤家と隣り合ってたんですね。。

今ではすっかり大きくなったあの「名古屋まつり」は元々は東照宮が発祥。町ごとに「山車」を持っており、もれなく伊藤家も山車に資金投入していた。また東照宮の雅楽存続の危機に人力した歴史もある(14代祐昌)。ここのご祭神は徳川家康公。お祭りは家康公の命日に行われている。尾張藩御用達にとっては一大行事ですね。。

 

6.茶屋町の茶屋家とは

セミナーの質問タイムにざ・地元民から出た話が気になって調べてまた賢くなりました。

伊藤家が店を構えたこの「茶屋町」には元々「茶屋家」の店が大きく敷地を占めていた話が説明されていたのですが、

◇茶屋家とは=京都の豪商

子孫が尾張藩の元に来てここに店を構えていたみたいです。そして現在の港区に新田開発を手掛けた人だそうです。港区に茶屋と名のつく町が沢山あるのを確認しました…え〜これ全部⁈すんごい豪商だったんですね(*_*;

この歴史を知っていると京都に足を運んでもまた楽しめそうです。

 

てな訳で、セミナー第2弾報告終わりです(^.^ ;

ありがとうございました♪

 

🏯終。

 

【体験記】名古屋城外堀のヒメボタル

思わぬ出会いからヒメボタルの存在を知って、ついについに体験しました。

そういえば私はホタルの光るところは見たことがない!うそ、初めて⁈自分で驚いてしまいました。

 

情報によると夜11時〜午前3時が出没タイム。なので…「ゆっくりでいっか」と遅めの出発。が、やっぱり気になって夜10時に到着してしまった。お、いるいる!見に来てる人沢山だぁ♡

f:id:sunlight333:20180527185932j:image

でもまだホタルが登場していないから皆さん待ち遠しそうに静か…

 

やはり11時以降にならないと光らないことと…実はシーズンも終盤だから段々光だしの時間は遅くなるらしく、結論を言いますと、午前1時を過ぎた頃、急に光る数が増えていった状況でした。

 

シーズンも終盤…こんな事情があった。

f:id:sunlight333:20180527190614j:image

その年その場の天候に左右されること、またホタルがとても短命であることなどから、その年の最大数の光を見る場面に出会えたなら、かなりラッキーだと言えるかもしれません。

 

そして私の初ホタルくんは、護国神社の敷地内で見ることができました。

「あっ光った」

「どこっ」

「あそこあそこ」

「どこーー」

 

みんなが喜んで盛り上がっているとき中々見つけられないことの焦りといったら(笑)見れなかったらどーしよー(ToT)

でも見れました、嬉しい!

 

初めてヒメボタルの光に出会って知ったことは、光が思ったより小さかったこと、けれども光ると見逃さないくらいに強い光だったこと、しばらく点滅していたと思ったら休息に入ってしばらく光らないこと。

 

ヒメボタルの光は鋭いと聞いていましたが、本当でした。ポツッとした強い点で光る。色も黄色さをしっかり認識できる。

沢山出るかもしれないという深夜1時までの間、人だかりから離れ外堀のほかのエリアへと出かけてみた。自分で何匹も見つけることが出来るようになった。

 

現場には気になっていた「受け継ぐ者たち」のメンバーが沢山いらっしゃいました。心配していたけど思った以上に沢山いらして、深夜で不安な中とても安心することができました。鑑賞にいらした方にパンフレットを配ったり様々な説明をしたり安全の確保など、素晴らしい働きです…

f:id:sunlight333:20180527203439j:image

※いただいたパンフレット。

 

そしてそして私の好奇心と興奮は完全に満たされることになりました。

細かい歴史を読んでいたので質問がありました。有難いことに答えを直接頂けたのです。

 

◉昭和50年から51年の発光数が激減した理由は、一つには異常発生の翌年は減ること、もう一つはひょっとしたら存在を知られたことにより乱獲があったのかもしれません。が、ここは分からないところ。

大変重要で興味深いのは、「大発生」は「異常」レベルであったこと。「翌年のお堀電車の廃線、今後の外堀の存在の分からぬ行方の中の〝神がかり的なもの〟」であったのかどうか…。

ここはもうロマンの世界をつい描いてしまうところですが(>▽<;

虫の知らせ、というものがあるようにそんな事情の只中のお堀で突然「ヒメボタルたちが存在の声を大きくあげた」のか…

その時地球の大自然の一つのリズムが起きた。

のだろう、何かしらの原因で…。

とってもとっても不思議でワクワクしますね。

 

◉発見者の竹内氏。重い病気で短い命の状態であったというお話があったけど、発見から24年、ご存命でした。長いような…と思った私。。なんと、ヒメボタルの活動をなさるようになって命が伸びたそうです。これは何を意味するでしょうか?そう思わずにはいられません。ホタルとの出会いのお話から既に感動するエピソードですが奇跡のような美しい物語が幾つも重なっているようです。

 

◉高速道路のライトについて竹内氏が行政に働き掛けたというお話、公共の窓口にまで出向いて活動されたなんていったいどのように?凄い。伺ったところ、なんと向こうから提案があったのだそうです。ということは、ヒメボタルの存在と活動がそれだけ広く伝わっていたという証拠ですよね。30,000のヒメボタルの光はこうして竹内氏を媒介し、人を優しい気持ちに変えていく力を生み出した、のかもしれない。

高架下から撮影してみました。

f:id:sunlight333:20180527201759j:image
f:id:sunlight333:20180527201755j:image

確かに高速道路からは全く明るさを感じませんね。素晴らしい。実際観察に出かけてみて一番眩しかったのは車のライトだったかなw

 

どれをとっても感動の話ばかりで、教えて頂き本当にありがとうございました。

 

ところでホタルの証拠写真がなくてスイマセンw初めてだし明かりは良くなさそうだし…撮影はいっか〜、と出向きましたが、ちょいとスマホのビデオをやってみたら全く感知してくれなかったので諦めました。。

代わりにお月さん載せます(^^ ; 中々幻想的。

f:id:sunlight333:20180527202952j:image

 

しっかり聞けなかったのですが、ここでヒメボタルが発見されたことにより、世界で初めてヒメボタルの存在を図鑑で紹介されるに至った、と話していた気がする。この歴史、どこに行けば分かるかな?いつか調べてみよう。

 

ヒメボタルのオスは光を放ちながら飛び回りメスを探す。ヒメボタルのメスは飛べませんのでひとところで光りじっと待っている。たった7日間の美しい光の逢引。ロマンチックな恋愛物語を眺めているような気分になってしまい、じっと見つめていると胸が温かく幸せな気持ちになりました…

オスの光ながら飛翔する姿はとてもゆっくりで柔らかくふんわりと浮いているように見えるので、かなり癒し効果が高いです。とってもとってもお気に入りです。

 

毎年の楽しみが一つ出来た。外堀が自然なまま残ってよかった。これからも大好きな外堀の自然が守られますように…

 

終🏯。

名古屋城外堀とヒメボタル 〜光のドラマ〜

不意にネタが降ってまいりました( ̄▽ ̄)✨

✨名古屋のヒメボタルドラマ✨です。

 

先日のこと、名古屋城のお堀の辺りを歩いていたら、見知らぬ老夫婦に声をかけられた。

「ホタルはどの辺にいるのか」

 

確かにヒメボタルの生息地だという話は立て看板で見たことがあるので知ってたけど…見たことないしほんとにいるのかな?と思ってそのままでした。ご夫婦と一緒に立て看板に行って読んでみた。すると…

なんと私のよく行く愛知護国神社やこのサイト記事トップで登場させたあの慰霊碑の辺りが一番多く生息していると書かれているではないかΣ( ̄ロ ̄lll)

あぁまた知らなかったことを知り新しい名古屋を発見してしまった…帰ってからネットで調べるとあるわあるわ、情報。しかも感動ドラマ付き。

 

少々長いですが、名古屋城外堀に貴重なヒメボタルが保護され現在に至ったドラマの詳細です。

(「名古屋城外堀に生息するヒメボタルLuciola parvula の発光数の記録」より)

ヒメボタルは日本固有種で「森のホタル」ともいわれる陸生のホタルである。黄金色のフラッシュ発光の点滅が特徴で、オスもメスも光るが、メスは飛ぶことがない。成虫の出現期は、地域によって違いが見られ、活発に発光飛来する時間等も地域によって違いがある。都心部に生息する例は少なく、名古屋城外堀のヒメボタルとその生息地は大変貴重な存在となっている。

名古屋城のヒメボタルの記録は、1975年に名鉄職員の竹内重信さんが、当時、名鉄瀬戸線が走っていた外堀においてホタルの大発生を発見したことに始まる。翌年は、廃線で外堀をどう残すかという時であった。重い病気を抱えていた竹内さんは、美しくはかないヒメボタルを子どもたちに残したい一心で、ヒメボタルの保全に向けて、保護活動を行うこととなった。竹内さんは、当時横須賀市博物館学芸員であった大場信義氏らの指導を仰ぎながら、ヒメボタルの記録や保護活動を行った。高速道路の照明や草刈りの配慮などを行政に働きかけ、また、ホタルの時期になると現地に出かけて見に来た人たちに説明をした。

1999年に竹内さんがご逝去された後、家族・知人・竹内さんと交流のあった小学校教員とその教え子たち等がずっとヒメボタルを見守ってきた。2008年に「名古屋城外堀ヒメボタルを受け継ぐ者たち」(以下、受け継ぐ者たち)と団体名を付け、2009年には「兵庫県立人と自然の博物館」の八木剛氏の協力を得て、幼虫調査等を行い、報告書「名古屋城外堀ヒメボタル―市民によるこれまでの観察記録と2009年の調査から―」(名古屋市緑政土木局、2010)を名古屋市緑政土木局と協働で作成した。その後も「ヒメボタルサミット in 愛知実行委員会」の方々等の協力を得ながら、調査を続けている。

「受け継ぐ者たち」は、ホタルを絆とした人とのつながりを大切にして、ホタルの観察や訪れた人への案内の他、1年を通してイベントや清掃、調査活動等を行っている。ホタルが 5月の深夜に出るとイメージする人は少ないからか、観察を始めた当初から外堀のホタルシーズンが終わってから現地を訪れて「いつ何時ごろホタルが出るのか知っていればよかった」と残念がる声をよく聞いた。そこで、私たちは実際にいつ行けばヒメボタルを見られるかについて情報発信したいと考え、名古屋城外堀とその周辺でヒメボタルの発光数の変化を記録した(発光数は、生息数ではなく確認できた光の数)。

前回書いた記事(さくら道)と酷似してたものを感じて驚いてしまいました(・・;)いち交通機関の職員が人の繋がりに想いを馳せて病を押して残りの時間を全てそれに捧げた…

「みんなの温かい心が繋がりますように」

自然の美しい姿を通して発信されているところが…なんといいますかとても繊細で優しい感じがしてなりません。

 

さて、現在名古屋城の外堀は鬱蒼と草木が萌えております。

f:id:sunlight333:20180526113307j:image

※2018/5/1撮影

 

なんとここを明治44年〜昭和51年まで電車が走ってたんですね〜(通称、お堀電車)。堀を線路にするとは斬新な…と私は思い出すたび思ってしまふ。

f:id:sunlight333:20180526113423j:image

※大津町駅跡。桜の季節の撮影。

 

ホタル大発生が発見されたのが昭和50年。発光数30,000頭だったとか。電車が廃止となったのが翌年昭和51年2月15日。大発生の翌年、ホタルの季節の手前ですね。なんとこの年は300頭に減少してしまった。撤廃作業の関係でしょうか??

しかし!タイミングよく守護者が現れたのでその後着々と残っていったわけですね(*´꒳`*)

2014年の記録では3633頭(ピーク期)だそうです。そう考えると30,000頭って物凄い事ですよね…さぞや圧倒されたに違いない。

 

外堀辺りは、「外堀通り」という名がついた道路東西を自動車が勢いよく行き交います。上空には当時はなかったであろう高速道路が通っており、昼間の光の減少と音の反響で私としては残念な気持ちがいつもありました。それでも外堀の緑の多さの威力は大きく、堀の静けさ、豊かな春の鳥のさえずりにうっとりしています。そして森深くにひっそりと生息する性質のヒメボタルまで生きていられる。感動ドラマがここにさらにあったとは知らず。記載した引用記事にもある通り、この上空を走る高速道路、ホタルを守るため当時竹内氏の行政への働き掛けで対策されていたなんて…!

 

【竹内氏の働き掛けで電燈が工夫された外堀上の高速道路】(「名古屋城外堀ヒメボタルを受け継ぐ者たち」HPより)

f:id:sunlight333:20180526133124j:image

どう工夫されているかというと、高く上にそびえ立つライトが暗い堀の辺りはありませんよね。‘ライトパイプ’なるものを使って道路の囲いの内側に明かりを隠しています。

(株)GSユアサHP(ライトパイプ納入事例)より

市道高速分岐2号線は名古屋市内の中心部を東西に走る高さ12mの高架道路。ここは名古屋城の外堀に接し都市部には珍しいヒメボタルの生息地であるため、照明方式にはホタルの発光交信の妨げにならない高欄照明方式の「ライトパイプ」が採用されました。

「ライトパイプ」は『環境を創る新しい光』をコンセプトに開発したもので、光のまぶしさがなく道路外に照明が漏れる心配がない上、ドライバーの視線誘導をし安全性とメンテナンスの容易さ、景観美化などに優れています。

そういや夜遅くにここを通ると堀の暗さの方が迫ってくるくらい怖い感じになるんですよね、、あぁまさかそういうことだったなんて( ̄。 ̄;)

 

さて、あとは体験あるのみですね♪

ゲンジボタルはゆっくり、ヘイケボタルは不規則、ヒメボタルは速くチカチカと光るのが特徴だそう。よく分かる素敵なサイトがありました。

siritai-zatugaku.com

小さいから姫蛍と名付けられたそうですが、確かにとても小さくて愛らしいですね^^

 

最後に、気になる光のドラマ「名古屋城外堀ヒメボタルを受け継ぐ者たち」の詳しい情報はこちらをどうぞ♫

名古屋城 ヒメボタルの教室

 

☆体験後の新情報を次の記事に載せます。若干訂正ありです、よろしくです(*´꒳`*)☆

 

終🏯。